朝から競馬の予想しながら部屋の掃除を続行。今はちょっと小休止して部屋から発掘した未開封のJP.CHENETのブランデーをたらりと香味づけにした台湾紅茶のホットミルクティを呑みつつサンソン(山下達郎のサンデーソングブック)を聴くなど。
気づけばこの番組も30年近くやっているそうで、相変わらずスタイルは変わらず、年末年始には奥様の竹内まりやが出てたりするんだけど、この夫婦放談も心地よい。「たなつか」(棚からひとつかみ)の選曲も独特で面白い。きょうはSweetSoulなんだそうな。
サンソンを聴き始めたの、いつ頃だろう?おそらく一番古い記憶では、留萌に住み始めた頃にラジオが聞こえないのをしょぼんとしていたのだが、羽幌までバイクで走った時に、吉里吉里というペンションで昼さがりに遅い昼食をとろうかと、席について流れているのに気がついたのがサンソンだったなぁと。時は1995年頃、20世紀末のできごとである。
って、なぜ留萌より北にある羽幌でAirG入るの?という状態だったんだけど、小樽からの電波がちょうど羽幌あたりでは入るんだってさ、という話を聞いておお、確かに入るわー、って、な話をふと思い出した。
ラジオを聴く習慣がついたのはいつくらいかなぁ。たしかAMのHBCラジオやSTVラジオを高校生の頃から宵の口〜深夜ラジオ聴き始めてハマって(でも、オールナイトニッポンあたりは寝落ちしててほとんどきいてない)、仕事をするようになってクルマを運転して外回りをする時は、先輩が聴いていたHBCのラジオ、人生相談はよく「こんなのねーよ!」とか言って笑い飛ばしていたものだが・・・、一人で外回りする時はもっぱらFM、FM北海道(のちのAirG)だったなー。エリア的にまだFM入るところだったからねぇ。でも、留萌に行った頃はFM局はNHKのみだし、AMも入りが怪しい難聴地域、当時はRadikoなんてものはないし、携帯電話の電波すら怪しいくらいのところに住んでたなぁと。自分の車に高感度アンテナ付けたりして、札幌にいた頃に聴いていたラジオの続きを聞こうとしてたんだけど、天気によっては入らないという状況で、結局、NHKだけだったかもな・・・。のちに今はまちづくりの伝道師として有名になられた人もいる面白い方々と、留萌にコミュニティラジオ局を創りたい!相談されて、真似ごとからホントに手弁当で機材や知恵を持ち寄ってラジオ局を開局もしたっけなぁ(そのときにPAをいろいろと現場で教えてもらったんだよね。めちゃくちゃ面白かった!)。まあ、これはまた別のときに書くとしよう。